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決断力

かれこれ、2年くらい書いてませんでしたが、、気まぐれに更新します。 今日、新宿のマップカメラにて、5dmark3を中古で手に入れることができました。コロナ禍になり、新宿に電車で行くなんて、いつぶりだろうか。そもそも電車に乗ること自体久々で、人混みには、ほとほと疲れ果てました。 さて、そんな話はさておき、私の5dが1.2.3とグレードUPいたしました。とは言え、1.2は壊れてしまったため、、という事情はあるのですが、3の進化に感激しております。ダブルスロットは良い。 表題の決断力、という話ですが、、マップカメラにて外国人の二人組が入店してきて、すぐさま、購入を決断して品物を購入していきました。 私は、と言うと、お目当ては5d3と決まっているにも関わらず、店内をウロウロしちゃったり、なんならネットで改めて価格調べてみたり、、(もう心は決めてきたつもりなのに、、)はたまた、向かいのキタムラに行ってみたり、と全く購入行動に移せない有り様。思い出すだけで恥ずかしい。それなりに店内は混雑していたので、店員さんが空くまでウロウロしていた、という事実もあるのですが、その外国人の2人組は、店内に入るとともに、目当ての商品の棚に行き、「これだね」「ああ、これだ」というような会話を英語で交わし、「すいませんー」と、店員さんが空いているかも確認することなく店内に響き渡る声で呼びかける、という強さ。ものの数分で、店員さんが接客を終えて、その2人組と商談。一瞬で買い物を済ませ、颯爽とお店を後にしていきました。 何というか、、一瞬でしたが、ここに決断力の本質を見た気がしました。迷いがない。そして、何より中古カメラショップにて、商品は一点もの。今回は幸いにもその2人組とはお目当ての商品が違ったから良かったものの、これが同一商品であれば、一瞬で私は負けたということになります。どれだけ店内に早くいようが関係ありません。圧倒的敗北です。 もちろん、高価な買い物であることには変わらず、慎重に決断する必要もあると思いますが、、一瞬の判断と決断力の差を顕著に感じたため、書き留めておこうと思いました。 こういう話は、決してこちらが買い手の時だけでなく、売り手の際にも当てはまると思います。商談の中で一瞬のタイミングを逃すことで、先方の購入意思決定を妨げてしまうようなことはあると思います。 リモートワークとなり、対面でのコミュニケーションや商談の機会が減り、瞬発力が錆びているような、、そんな気もしました。 と、久々に都心に向かい、気持ちにが揺れ動く経験をした一日でした。 また、気ままに更新していきたいと思います。 ではでは。…

時間という資産

コロナウイルスの影響で、自宅にいる時間が、明らかに増えた。というか、ほぼ自宅にいることになった。 どんな時間が増えたか。 歯をフロスする時間(歯磨きはしても、フロスはサボりがち)、お風呂に入る時間(息子と一緒に)、こどもといる時間、筋トレする時間、洗い物をする時間、読書する時間、掃除する時間(ルンバだけではなく、掃除機をかけることも)、音楽を聞く時間。 新たなサービスや、世の中の流れについて知る時間。そして、それを自分自身で咀嚼して、こうしてブログに書く時間。 具体的には、ウーバーイーツ、ボイシー、オーディオブック、株式・投資信託の見直し、Apple Watchを活用しての、アクティビティの管理、睡眠の管理、音声入力のシステム導入、等。 今までの毎日だと見過ごされていた、かつ見過ごしていてもさして大きな問題にならなかったような事柄について、考える時間が増えた。 毎朝、散歩するのが日課になったのだが、そこで、歩きながら、オーディオブックを流して、飽きたら、ボイシーで情報をインプットする。 家に帰ってきたら、子どもと遊んで筋トレして、お昼過ぎにはお風呂に入ったり。 想像していた以上に、この日々を楽しめている。 なぜか。一つは、時間という資産が増えたから。 そして、新たな知識や情報にアプローチして、日々の変化を楽しめているから。だと思う。 通勤電車に揺られていた日々で、今と同様のことができたかと言うと、できなくはない。が、やっぱりそんな余裕はない。1日24時間では足りない、という感じだ。 つまり、余裕が大切なんだと。余裕があれば、余白ができる。余白があれば、人は何かで埋めたがる。 自分も同じ。ただ、その余白をどういう内容で埋めていくかに、その人の姿が出てくる。自分は、何に価値を感じて、何を大切にして生きていくのか。 自分はどういう人間なのかを見つめて、知って、自分のアイデンティティを築いていく。ちょっと大げさに言うと、こういうことなんだと思う。…

食べ放題の時間が足りないなんて

そんなことあります? 私は今まで、経験したことありませんでした。 食べ放題の時間が足りなくなるなんて。でも、今日妻と息子と3人で焼き肉食べ放題に行ったんですが、時間足りなくなったんです。 そう。妻と二人だけの食事なら、間違いなく、いつものように時間はたっぷりあるし、「もうお腹いっぱいだね、、」みたいな会話がお決まりのように出て、時間内にデザート食べて、少しゆっくりできる。 しかし、息子がいると、、 息子のご飯を食べさせる時間、息子が眠くなると抱っこしてあやす時間、そもそもテーブルにたくさん出てくるお肉を果敢にも素手で取りに行こうとする息子を制止する時間、などなど。つまり、自分たちのためだけに今まで使えていた時間が、今やそうではなくなっているのです。もちろん、当たり前ですが。 妻は、焼き肉食べたいー、と日々こぼしていました。 そりゃそうですよね。焼き肉なんて、絶対に妻一人で息子と一緒には行けないですから。 途中で、息子が寝てくれたので、ベビーカーにごろんしてもらって、久々に妻と二人で外食している気分になりました。妻も、楽しそうにしてくれました。というか、何より私が楽しかったのですが。 こういう時間。本当に大切なんだな、と実感。 特に、今やコロナの影響で、妻と息子は外出をなるべく控えてくれています。 そりゃ、ストレスも溜まりますよね。そりゃ、焼き肉だって食べたくなりますよね。 私は、なんだかんだ平日は仕事なので、一人でランチで焼き肉を食べることもできます。でも妻はそうはいかない。妻だって、今までは、仕事していましたので、ランチだって行けたし、ランチ後にスタバでコーヒーだって飲めた。けど、今はできない。 だから、たまにこういう時間をちゃんと、大切にしないといけないな、と改めて実感しました。そして、妻から言われる前に、自分からこういう時間を作って、いかないといかんなー、と思った次第です。本当にできた妻です。日々、頭が上がりません。妻のおかげで、毎日仕事できてますし、仕事よりも、子育ての方が、誤解を恐れずに、難易度は高いと思ってます。本当に感謝です。ホワイトデーでお返ししなきゃ。 ただ、、最後に一言。 息子って、こんなに可愛くてたまらない存在なんですね。もう少しで1歳になりますが、何枚写真撮ったんだろうか。…

自分の感性の磨き方

表題の通り。 自分の感性をどうやって磨くか。そして、世間的に、これは大多数の人数に向けて、という意味で、どうやって笑いを生み出せるか。 お笑い芸人ってすごい人たちだ。 と、昨日のイッポングランプリという番組を観て思った。恥ずかしながら、初めて見た番組だ。 ただ、写真を見て一言。というお題や、大喜利をその場で考え、反射的に答えることで、笑いを生み出すことが求められる、自分には到底できないだろうな、と思うことを、どんどん繰り広げていた。 お笑いといえば、ネタやコント、といったものもあると思うが、どちらかというとその方面は演技力や設定力が求められることもあり、なんとなく、自分でも、語弊を恐れずに言えば、ネタさえあれば、できる、と思っていた節もある。もちろん、そんなに甘い話ではないことも承知しているが。 ただ、やっぱり、ライブは違う。パっと振られても、パッと答えられるか。 日常でもあるあるだと思うが、いわゆる無茶振り、というやつだ。 自分はできない、、というか苦手だ、、 ただ、アイツならなんとかしてくれる、みたいに無茶ぶりに強い人も、何人かは思い浮かぶ。その人との違いはなんだろうか。 生まれ持った感性か。そうなると、もう無理。勝てっこない。 ただ、なんとか近づく道はないのか。 そう思ったときに、世間一般との距離感を掴むこと、という道があるのでは。と思い至った。 笑ってくれる対象は誰か。世間だ。つまり大多数の人間。マジョリティ。 そうなると、その人達が何を日々考え、何に対して笑うのか、何に関心があるのか。みたいなことがわかっていないと、笑ってはくれない。 私は、テレビもほとんど見てなかったし、流行りの芸人やドラマについても会話についていけないこともある。そうなると、共有の話題が増えず、笑いを呼び起こすことができないのかもしれない。そんなことを思った。…

強みを伸ばす

強みを伸ばす。ストレングス・ファインダーという本があります。会社の研修でこの本を使用しましたので、忘れないうちに残しておきます。 私の強みは、上から順に、達成欲、学習欲、ポジティブ、収集、包含という並びでした。達成欲や学習欲については、なんとなく幼い頃からあるような気がします。 が、包含という項目については仕事をする中で見についてきたような気がします。 カメラが好きなのですが、どうしても良い一枚が撮りたいという欲や、やるからには極めていきたいという気持ちが芽生えてしまい、レンズ沼にハマってしまったり、、この辺り、収集の特性が出てしまっているのでしょうか。 そして、どんどん新しい環境に飛び込んでいき、新たな学びを得ることに、なんのためらいもない性格ではありますが、こうやって言語化されて、自分の強みを認識できると、また新たな自分に出会えたような気がします。 ただ、大切なのはバランス感覚だと思います。 占いとかとも同様に、自分がこう、だと決めつけるつもりはありませんが、ひとつの切り口としては認識していこうと思います。 写真は、オールドレンズで切り取った、上野の交差点です。 タイミングよく光が入ってくれたので、イイ感じでフレアが入ってくれました。 カメラとしては、ライカQ2がとっても欲しい。 一眼レフをどんどん極めていきたいのは山々ですが、どんどん機材が増えてしまって、持ち運びの大変さが大きくなってきている今日このごろ、、、 普段の使い勝手の良さと、クロップで焦点距離をいじることのできるライカの魅力が日々自分の脳の中でどんどん増殖しています、、 5dとオールドレンズの使いまわしもスナップとしては好きなのですが、やはり重いし、もう少しライトに、ざくっと使えるカメラがあれば、、と。 ただ、値段が値段ですし、なかなか手が出るものではありません。 自分としては、ただ、いつか手にすることになるんだろうな、という気持ちはあります。今までも、やっぱり欲しい物は欲しいし、必ず手に入れてきたので、、 これが達成欲の現れでしょうか、、笑…

子育てについて 住まいについて

子育てについて、住まいについて、連休中に台風もきたこともあり考えていたので、少し頭の中をまとめてみようと思う。 まず、子育てについてだが、結論から言うと田舎暮らしの方が子どもが伸び伸びと育つのではないか、という考えがずっとある、、 僕自身は田舎というほどの田舎ではないが、奈良の自然を感じる中では育ってきたと思っている。何より、家の前は田んぼだったし、よくそこでキャッチボールしたり、走り回ったりしていた記憶がある。また、僕が小学校のときには、漫画で「グランダー武蔵」が流行っていたこともあり、近くの池に少し釣りをしに行ったりもできた。カブトムシを取りに父と少し車を走らせて山に行ったりもした。 なんか、こう書くと、よくある、「昔の田園風景の日本が良かった。今の日本は自然がないからダメだ。。」みたいな感じを受けるかもしれないが、言いたいのはそういうことではなくて、子どもがしたいと思ったことを、好きにさせてあげる環境が大切なのではないか、ということ。 昨日、近くのショッピングモールに子どもと出掛けたのだが、そこでは、思いっきり遊ぶ広さがあるわけではなく、かつ子どももその広場のキャパを超える人数が集まっていたこともあり、なんか、こうぎゅうぎゅう詰めで、せせこましく遊んでいるように思えてしまったのだ。。芝生も限られているし、思いっきりボール遊びをすることもできないだろうし、コンクリートの上で走り回っている姿を見ても、転んだら怪我するだろうな、、とか、余計なことを考えてしまって、「全力で、思いっきり遊ぶ」ではなくて、自分のできる範囲で、できる限りで遊ぶ、という構図になってしまっているような印象を受けた。 もちろん、これはこれで現代の姿だし、否定するつもりはない。 が、自分はもっと違う環境を望んでしまった、というだけの話。 頭をよぎったのが、NZに旅行に行ったときのこと。父の友人を尋ねるということで、1週間くらい旅行をした。NZは、国全体で人口が400万人です。東京都の1/3くらいですかね?それでもって、ラグビー場が多いこと多いこと、そして、羊が4000万頭もいるという大自然を感じてきた。 ちょうどラグビーが盛り上がっていることもあり、ふと頭の中にその思い出が蘇ってきた。 ああ、NZのような環境だったら、子どももきっと伸び伸び育つんだろうな、、と。 ただ、現実的にはNZで子育てできるわけではないので、日本で少しでも再現できそうな環境は、やはり広い土地があって、自然が多く残っている環境に身を移すことなのかな、と、冒頭に戻るワケです。 幸い、私は賃貸マンションに暮らしているため、引っ越しをすれば生活環境を変えることはできます。これは賃貸の強みですよね。 よくある、賃貸or購入の二項対立の話でも出てきますが、、私は現時点では賃貸という選択をしています。直近の台風のような災害があったときには、なおさら感じます、、 もちろん、自宅を購入することも視野に入れて、一時は住宅ローンの申し込みまで完了させていた私でもありますので、自宅を購入することのメリットもたくさんあると感じています。 ただ、一軒家だったり、車を持たれている方が、こういう災害が起きたときに被るダメージ(精神的にも、金銭的にも)を考えると、、例えば30年に1度でもこういう大災害が起きると一気にダメージが来る、、と考えると辛いものがありますよね、、 賃貸なら、被害が大きければ、また引っ越しをすれば良い、というだけの話になってしまいますので、、…

情報をシェアすること

情報をシェアすること、とても大切だと思いました。 例えば一つの大きな組織に属していて、自分たちのチームが、その組織の目的を達成するような勉強会をしていたとして、それを共有することは、共有する側のスキル向上にも繋がりますし、その上で事業全体の底力を上げることにつながります。 そして、何よりそういった活動をしていくことで、そういう発信源には、もっと色々な情報が集まってくると思います。情報がスパイラル的に集約され、そこで醸成され、そしてまた質の高い情報が拡散していく。こういう流れを巻き起こすことができる。 それが、情報をシェアするということです。 いまは、本当にyoutubeがすごいですね。 様々な人が自分のプラットフォームを自ら作成することができ、そこで集客をし、ファンメインキングをして、事業まで起こすことができる。 以前は考えられなかったですね。少なくとも10年前はスマホがそんなにメジャーではなかったし、5年前でも、動画コンテンツはここまでの勢いはなかったと思います。 youtubeを見ていて、思うのは、表題の通り、情報をシェアすることの大切さです。 様々なニュースや、時代の流れ、各自の考え、などなど、メディアのフィルターを通さず、ダイレクトに消費者に届けることができる。一人一人がもっている、知っている情報がそのままコンテンツになり、時にはお金を産むことにつながる。 情報を持っている人はどんどん発信すれば、その分、良い反応や悪い反応もあると思いますが、本当にダイレクトに評価が決まる。というか分かる、世の中になってきました。そして、そういう発信者には、どんどん情報が集まる。そして、さらに質の高い情報が集まる、というサイクルですね。 もちろん、ひとそれぞれのタレント力というか、人間力みたいなものは問われると思うのですが、個人的には、自分で自分をタレントとしてマネジメントし、売り込む力がある人が、いま活躍しているような印象を受けます。 世の中の流れは、本当に早いと思うので、今までは、何か調べるときに、図書館や書籍をあたっていたことが、今はグーグル検索を飛び越え、youtube検索をするような人が多いのではないでしょうか? もちろん、書籍は私は大好物なので、テキストコンテンツがなくなる?とは思っていないですが、なんだかんだ電子書籍は便利だと思いますし、もはや紙媒体で新聞を読むことはなくなりました。そして、動画で様々な調べごとをしても、解説してくれる動画がこんなにあることにいつも驚きます。動画って、わかりやすいんですよ。当たり前ですが。 写真、映像、何か自分の興味があることを調べれば、一瞬で様々な人の知識やノウハウにありつけるんです。どんどん、境界線がなくなっていく。 アマチュアとか、素人でも、知識やノウハウを得ることができるようになった。 だからこそ、プロと呼ばれる人の価値をどう保っていくか。…

ものを大切にすること。想いや、気持ちを大切にすること。こだわりを持つこと。

ちょっと長いタイトルですが、昨日髪の毛を切ってもらいながら、考えていたことです。 ものを大切にしてほしい。 私は、野球少年でしたが、そのときの指導者からは、スパイク磨きなさい、グラブをしっかり手入れしなさい。としつこく言われていました。当時は何のことやら、と思いながらも、イチロー選手はそうしているんだぞ、と言われては野球少年としては、指導されるがままに、スパイクやらグラブを手入れしていました。 ただ、少しずつ、グラブを手入れしたからこの打球をキャッチできたんだ。スパイクをしっかり磨いたから、盗塁できた。みたいな、自分の中での神話ができあがってきたのを覚えています。グラブありがとう、スパイクありがとう、みたいな感じで。これは、よく言われますが、自分の中でのプロ意識が芽生えた始まりのような気がします。 こんなことを思い出したのは、その美容師さんが、とっても職人気質の方で、もちろん自分のお店をお持ちなのですが、モノにとってもこだわりがある方なのです。 使っているホルダーや、内装の一つ一つにまで、細かくこだわって、それをずっと長く使い続けている方なのです。現代では、そういう想いを持ち続ける方は少なくなっている気がするので、いつも髪を切ってもらうこと以外でも勉強や刺激を受けています。 自分自身を顧みても、その日はちょうど靴屋さんに革靴を修理しに行った帰り道に美容院に寄ったこともあり、自分ごととして振り返ってみたのが始まりです。 写真の革靴は、私が社会人2年目のときに少し背伸びして購入した、スコッチグレインの茶色の革靴なのですが、かれこれ7年くらい履いているのかな? どんどん味が出てきてくれていますが、何度かオールソールしたり、修理したりしています。社会人になってからも、スーツ、革靴など、自分の持ち物にはこだわりを持っている方かな、と思っていましたが、この美容師さんにはかなわないなー、っと感じました。 革靴とかだと、履きつぶすまで履いて、新しいのを買って、というサイクルを繰り返す人もいると思いますし、それはそれで経済的なのかもしれないので否定はしませんが、その期間でも、ものを大切にする、という姿勢は持ち続けて欲しいなー、っとそんなことを考えていました。 なので、この革靴を磨くときには、息子も隣に座らせてみました。少しでもそんな想いが伝われば、と思って。この革靴が、自分にとっての7歳の息子だと思うと、なかなか感慨深いものがありますし。 と、つらつら書いてきましたが、何かの道に進んでいくときには、自分を支えてくれる道具というものは大切にしてあげてほしい、そういうことは、しっかり自分の息子にも伝えていきたいな、と。 だから、まずは、言わずもがな自分がそういう姿勢を貫き通さないといけないな、と想いました。 この革靴は、自分とどこまで一緒に行けるでしょうか。…