結果的には、購入を決断したマンションを内覧した際に、ほぼ直感で決めることができました。
それはなぜかというと、その日に至るまでの約2年間、ほぼ毎日のようにSUUMOを見たり、何度も色々なマンションを内覧しに行っていたからだと思います。つまり、自分の頭で考えて、比較検討することができるようになり、ある程度の目利きができるようになり、自分の中で決断できる準備が整っていた、あとはタイミングだけ。
そう自分で思えるようになっていたからだと思います。
元々、自分自身を好奇心がある方の性格だと思っているのですが、この家さがしにおいてもそれが発揮され、多くの不動産営業マンとの対話の中で、自分の知識を深めていくことができました。つまり、気になったら、何でも聞いてみる、ということです。
気になった言葉を、聞いて、自分で調べて相場を確認する。
細かい部分で例を出すと、修繕積立金とか、固定資産税とかの話とかですね。
そして単に言葉の知識だけでなく、戸数に対してどれくらいの金額の修繕積立金があれば、妥当なのかとかの相場観についてもできるだけ聞くようにしていました。
こういう細かい部分について、自分なりの尺度が持てるようになってきたことは、決断を迷わなかった要因の一つだと思います。価格交渉の相場、みたいなものについても、何度か営業マンとの折衝経験を積んでいればこそ、どれくらいまでがギリギリのラインなのか、とかもわかってきますからね。こういう経験ができたことは、自分の中で大きかったと思います。
家探しのきっかけは、今の家の近くにできた新築マンションのモデルルームに足を運んだことです。まるで八百屋さんで野菜を買うような感覚で、一瞬、言葉巧みなイケメンの営業マンの言葉に乗り、その場で購入しそうになっている自分がいました。
そして、なんならその場で購入の決断までできてしまうのです。購入資金はローンという、もはや幻のお金により、実感を伴わず、購入の意思決定ができてしまう。
なかなかすごいことだと思います。
今思えば、別にめちゃくちゃ条件が悪いマンションというワケではありませんし、その場で購入を決めていても、結果的には悪い選択肢ではなかったと、客観的には思えます。ただ、それはあくまで結果の話。
その当時の自分には、何も比較検討できる材料も無ければ、自分の選択肢に間違いないという自信も持てなかったので、なんとなく、流されて、受け身で選択する、ということになっていたと思います。
昔からそうなのですが、やっぱり自分の頭で考えて、自分で比較検討をして、自分の中で納得できる答えを導きだすことが好きで、大切なことなのかな、と、この二年間の家さがしを経て実感しました。
ただ、自分の弱点というか課題で言えば、このプロセスの中で、もし自分が気づかず進路を誤って進んでしまっていたら、最初の勢い良く決断する気概や勇気を取り戻すことがどんどん難しくなってくる、ということですね。笑
結果は結果なので、自分の人生の中で、自分がどういう選択肢を取ろうが、それは個人の自由だと思います。ただ、そこに至るプロセスをどう辿ってきたか、で、再現性が問われるのも事実だと思っています。よっぽどの強運の持ち主でなければ、ラッキーパンチはそう何度も続かない。少なくとも自分は、そう考えています。
そして、これは、家さがしに限ったはなしではなく、人生のあらゆる選択肢においてそうだと思っています。比較検討をする中で、自分の中での尺度がある程度決まってくる。目の前にある、とても魅力的な選択肢の背後に、もっと魅力的な選択肢があるかもしれない、と思えるかどうか。それは欲張りかどうか、という感覚ではなく、よりよい選択肢を、常に客観的に俯瞰して見ることができるかどうか、ということだと思います。
以下、村上春樹の「スプートニクの恋人」にある一節です。
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うまいとか下手とか、器用だとか器用じゃないとか、そんなのはたいして重要じゃないのよ。
わたしはそう思うわ。
注意深くなる・・・・・それがいちばん大事なことよ。
心を落ちつけて、いろんなものごとに注意深く耳を澄ませること
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なぜか、ふと、この一節を思い出しました。
写真は、多摩センターの、ある丘にての一枚です。
なかなか最近は、出かけることも少なかったのですが、この日はとても気持ちの良い秋晴れでした。
それでは、またいつか。