表題の通り。
自分の感性をどうやって磨くか。そして、世間的に、これは大多数の人数に向けて、という意味で、どうやって笑いを生み出せるか。
お笑い芸人ってすごい人たちだ。
と、昨日のイッポングランプリという番組を観て思った。恥ずかしながら、初めて見た番組だ。
ただ、写真を見て一言。というお題や、大喜利をその場で考え、反射的に答えることで、笑いを生み出すことが求められる、自分には到底できないだろうな、と思うことを、どんどん繰り広げていた。
お笑いといえば、ネタやコント、といったものもあると思うが、どちらかというとその方面は演技力や設定力が求められることもあり、なんとなく、自分でも、語弊を恐れずに言えば、ネタさえあれば、できる、と思っていた節もある。もちろん、そんなに甘い話ではないことも承知しているが。
ただ、やっぱり、ライブは違う。パっと振られても、パッと答えられるか。
日常でもあるあるだと思うが、いわゆる無茶振り、というやつだ。
自分はできない、、というか苦手だ、、
ただ、アイツならなんとかしてくれる、みたいに無茶ぶりに強い人も、何人かは思い浮かぶ。その人との違いはなんだろうか。
生まれ持った感性か。そうなると、もう無理。勝てっこない。
ただ、なんとか近づく道はないのか。
そう思ったときに、世間一般との距離感を掴むこと、という道があるのでは。と思い至った。
笑ってくれる対象は誰か。世間だ。つまり大多数の人間。マジョリティ。
そうなると、その人達が何を日々考え、何に対して笑うのか、何に関心があるのか。みたいなことがわかっていないと、笑ってはくれない。
私は、テレビもほとんど見てなかったし、流行りの芸人やドラマについても会話についていけないこともある。そうなると、共有の話題が増えず、笑いを呼び起こすことができないのかもしれない。そんなことを思った。
もちろん、そんなに大衆に向けてのことを考えずに、自分の感性のままに面白いことを言っても良い。ただ、それだと、自分は楽しいし面白いかもしれないが、きっと笑いは起こらない。いわゆる自己満足で終わってしまう。そして、それで笑いを取れる人は、間違いない、天才である。天才なら、自分の思うがまま、マイ・ウェイを突き進むことが許されるだろう。ただ、本当に一握りの人に限られると思うし、自分は間違いなく天才ではないので、この方法は却下だ。
そして、これは笑いを生み出す、という特殊な環境だけにとどまらず、人生の様々な場面で起こりうる。就職活動の面接だろうが、人との会話だろうが、相手が求めていることではなく、自分の感性でものを言い、自分の感性のままに生きていっても問題はない。ただ、それで面接に受かるだろうか、という問題は別問題である。
もちろん、大衆に迎合せよ、というつもりもないし、ただただ相手に合わせて、相手が求める解答のみを提示せよ、というわけではない。そうなると、自分らしさも面白みも何もなくなってしまう。
大切なのは、こういった背景をきちんと理解しているかどうか、ということ。
お笑いだって、人と人が織りなすもの。
そう考えると、高等なコミュニケーションが、イコールお笑いなのではないか、と、なんとなく自分の中で腹落ちがした。
と、つらつらと、お笑い番組なのにも関わらず、こう、何かに紐続けつつ、考察してしまう、、、
理屈っぽいのか、、とも思うが、一度考えを巡らせたら止まらなくなるので、そのまま書き連ねてみた。
というわけで、自分の感性を磨く必要は大いに感じたので、今後自分のインスタグラムで写真を公開するときには、少し捻ったコメントを投稿してみようかと。
くすっとでも笑ってくれる人がいれば、嬉しい。
結局は、人はコミュニケーションを取りたい生き物だということを改めて認識しました。
写真のお花は、昨日の友人の結婚式でいただいたもの。
オールドレンズで一枚撮ってみました。